01
昔から頭のいい子どもだった。元々なのか、あの家にいたからなのかはわからない。ただ、すぐ上の兄のことを考えると、元々なのかな、と思う。次に、他の兄弟を考えて、すぐ上の兄が異常なのかもしれないと思い直す。どうだっていいことだけど。
蟻たちはやっつけた。ごちゃごちゃしたことはたくさんあった。けど、オレの中で大事なことは一つだけだった。
それは静かな夜だった。
いつでもどこでもどんな状態でもある程度の睡眠がとれるはずだったオレは、だけどゴンと出会ってからふとした平穏の中でそれができなくなっていた。気持ちに左右されて寝付けないだなんて、本当に何年ぶりだろう。修行や戦闘なんかに身を置いているときはきちんと必要なように眠れる。それは変わってない。眠れなかった頃。それはちょうど自我が目覚めてきた頃で、痛いとか苦しいとか怖いとかいう本能と拷問と殺人と戦闘の日常がぶつかってどうしようもなくなった夜、オレは寝付けなかった。寝なくちゃ次の日辛いのはわかっていたのに、寝なければ次の日はこないんじゃないかとかいう馬鹿なことを考えてだったり単純にその日殺した人間の断末魔が耳から離れなかったりして、とにかく眠れなかった。どうしてこんな毎日なんだろうって苦しくて泣いた。いろいろ考えた。そのうちに、放棄した。そうしてまた眠れるようになった。ただ、完全に放棄しきれなかったから家を飛び出したんだけど。
そう考えると、こうやって眠れないのも今だけかもしれない。そのうちに諦めてまた眠れるようになって、だけど完全には放棄されない何かがある日突然弾けるのかもしれない。
どんな風に?
くるくるまわる頭は、いつだってリアルに基づいている。オレは仮説を立てる。分岐点にあるオレ。道は二つ。ゴンと一緒にいるか、いないか。いる、ならば。ある日突然弾けるということはつまり、ゴンの元から消え去るということだ。それ以前に、またきちんと眠れるようになるのかどうか怪しい、と思った。瞬間的に。だって今、こんなにも辛い。とても辛い。恐怖に支配されていたあの家の日常に耐えられたのだから大丈夫かもしれないと少しだけ思って即座に否定する。それは違う。何かが違う。一緒かもしれないけれど、違う。とにかく耐えられない気がする。なおタチの悪いことに、オレはいまあの家にいたときとは違って、所謂自由というやつだった。オレの思考以外、オレの行動には制限がない。だから、離れたいと思えば離れられるのだ。ゴンから。もう一つの道。ゴンとは一緒にいない。ゴンから離れる。それはそれで眠れるのだろうか。最初はきっと辛いだろう。でも、眠れないということはなさそうだと思う。ゴンを知る前に戻るのだ。完全には戻れないだろうけれど、諦めることには慣れている。少なくとも何かを熱烈に欲することよりは。兄の言葉を思い出す。闇人形。自信は何も欲さず、何にも望まない。
頭を振る。ちがう。人の死に触れたときよりも、ゴンに笑いかけられたときの方が嬉しい。とても、ほんとうに、こころから。たくさんたくさん言葉を並べたって追いつかないぐらい、嬉しい。
だけど、そのゴンは。
彼の父はハンターだ。今度は、くじら島にあるゴンの家。強い日差しと、蒸した匂い、鳥の声の中で聞いたラジカセを思い出す。オレはオレのため親であることを放り出した人間。オレがオレであることは変わらない。十年以上経っていても、そうだろうと言い切った男を、オレはほとんど知らないと言っても過言ではない。けれど、ゴンはそういう男の息子なのだろうと今は痛いほどわかっていた。ゴンはきっと、いつか放り出す。オレを。ゴン自身のために。
そのとき、オレは。
彼の怒りに弾かれた、あの瞬間を思った。
恐ろしくて震える。涙が出そうになる。頭がぼうっとして何も考えたくないと拒否をする。すべてから逃げ出したくなる。ゴンの側にいることを諦めて、一歩二歩と彼の側から離れる。だけど心は。本当は。離さないで、離さないで。離れたくない、よ。
けれど踏み出せない。
そうして思うのだ。
闇に捕われることと光りに捕われることの、一体何が違うのか。
すとんと胸に落ちてきた、問いかけ。自嘲する。オレは結局人形なのだ。それが闇のものであれ、光のものであれ、意志のない人形。求められることに応えることはできるけれど、自らすすみゆくことはできない。
やりたいことがみつかるまで、と約束をした。約束をしたけど、ゴン。今のオレは人形だよ。オレが人形から人間になる前に、ゴンに捨てられたらどうすればいいの?ゴンは捨てるだろう?そのときがきたら、オレが人形だろうが人間だろうが、捨ててしまうだろう?
ぽたりと、シーツに染みが一つできた。目が熱い。思考が止まる。しばらくそのまま空を見つめていた。夜目は利くから部屋にあるものは何でも見える。隣のベッドで寝ている、ゴン。いつか、彼の父親が彼を捨てたように、オレを捨てていくであろう、ゴン。その背中を、オレは追いかけることができない。
どうして?
人形だから。
人形だから?
思考がゆるゆると戻ってくる。そうして次にきゅるきゅる音を立て始める。まって、かんがえて。ゴンは彼の父に捨てられた。だけどゴンは今どうしている?彼の父に、会いに行こうとしている。ハンターとして。ハントするものとして。捕まえようとしている。彼の父を。捨てた男を。捕まえる。ゴンは人形じゃないから。人間だから。
それなら、おれも。
人間に、なれたら。
ゴンを、つかまえられ、る?
ふわふわと気持ちが浮ついて、うるさいぐらいに心臓が鳴り出した。そうだ、オレが人形だからいけない。人間なら。ゴンに捨てられても、捕まえればいいんだ。彼が、彼の父に会いたくないと言われてもめげないように。その強さは人形にはない。ただ捨てられるのを待つ、人形とは違う。オレも、そうなれたら。そうしたら。
きっと、ゴンの側にいられる。ずっと。
そしてオレはゴンとしばらく別れることにした。人間になるために。ゴンの側にいることは、光の直中にいることは、闇そのものだったあの家にいることと変わりがなかったから。あまりに強すぎて、きっとオレは人間にはなれない。だから離れなければいけないと思った。思うだけで正直どうしたらいいかわからなかったたり(例えばそれはどんな風にそれをゴンに切り出したらいいかとか、人間になるためにはどうしたらいいかとか)ずっと一緒にいたいはずなのにどうしてオレから離れなければいけないのだろうという矛盾に負けそうにもなったりしたけれど、他でもないゴンの生き方がオレを後押ししてくれた。ゴンは真っ直ぐに彼の父を追いかけている。その強い視線が、不可能じゃないよとオレを力付けてくれた。あとは、新しく出来た友人の存在も。オレは人間になれるはずだと、あやふやで儚いけれど希望を持たせてくれた。
そうしてオレは、ふっと気が抜けてそのまま眠りに落ちた。ゴンの側で、久しぶりに深く深く眠れた。
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