かえりみち

「あつい」
不満一色に水野が言う。けれども、シゲは何処吹く風だ。
「タツボンの手ぇ冷やっこい~」
更には幸せそうにそんなことまで言い出すものだから、水野の眉はますます険しくなっていく。大体、冷やっこいわけがないのだ。学校を出て、みんなと別れて手を繋ぎはじめてから早五分。熱がこもってお互いの手は熱くなっているはずである。少なくとも水野は熱いと思うし、汗もかきはじめてきて正直不快だ。それなのに、手を離すことをシゲが許さない。無理やり振りほどこうとしてもシゲの方が、手が大きく力も強い。
「いい加減にしろよ。あついだろっ」
眉をこれでもかとしかめて、手を乱暴に振る。けれどもシゲはやはり手を離さない。
「もうちょっと」
な?と猫を思わせる顔で望まれれば、むぅと唸るだけになってしまう。心の一番奥の本当を聞かれれば嫌ではないとなるだろうけれど、あついのは確かで、汗だってベタベタして気持ちよくない。いつもだったらそこに照れが加わって奥底の本当の気持ちなんて無視して怒ってしまうけれど、今日は。
「誕生日やもん」
ええやろ、とシゲが言う。そのふてぶてしい態度に、また水野はカチンとくるが、もう手を離す気はないので大人しく黙っていた。何か誕生日プレゼントをやりたくても、シゲが本当に欲しいものが分からなかった。そうして悶々と過ごしたここ数日。そんな状況下で、どうしてもの彼の望みを却下できるわけがない。
それがどうして、漸くの日没が近いとはいえ蒸し暑い中で手を繋ぐこと、なのかはわからないが。
シゲだって、あつくないわけないのに。
ぶちぶちと心の中で文句を重ねる。手は大人しいが、眉間の皺はなくならない。
そんな水野にシゲは彼らしいと苦笑いを浮かべた。
「あっつくってもなー、人の体温と気温とはちゃうやろ」
「あついもんはあつい」
まだ不機嫌な声。目を僅かに伏せ、水野はシゲを見ずに黙々と熱いアスファルトの上を歩く。セミの鳴く声が遠くで熱にぼやけて聞こえた。車が道路を走る音も。
「ちゃうの。今日だけは」
遠くを見ながらシゲが言った。全ての音が熱でぼやけている中で、シゲの声もぼやけてしまいそうだった。聞きたい聞きたいと心底から望まなければ聞こえないシゲの声。
「なんだよ、それ」
水野がシゲを見た。シゲは、ゆっくりと紫に支配されていく空を見ている。水野の顔を汗が流れていく。シゲの顔にもうっすらと汗が滲んでいた。けれども、それぐらいしかわからない。シゲはわからない。
迫る夕闇に飲み込まれていく空のように、シゲが飲み込まれてしまう気がした。
「…何考えてんだよ」
搾り出すように水野が言った。さして聞こえない足音や、身体の発する音に消えてしまいそうなほど小さく、小さく。シゲがわからない、と自ら告白する。悔しい。誰よりも彼をわかりたいと思っているのに。わからない、わからない。けれど、誰よりも彼のことをわかりたいから。
「……今日手ぇ繋いでたら、タツボンと来年までずっと繋いでいられるやろかぁって思ったんや」
なぁ、どう思う?
シゲが水野を振り返る。まるで空のように端々が闇に染まった瞳で。
ああ、と水野は湿った喜びに触れる。いつものシゲの瞳じゃない。いつもの、曇ったシゲの瞳じゃない。振り返った瞳は、闇も太陽も星も、煌きも底の見えない暗さも、全部見ることができる瞳だ。ああ、ああ。ゆっくりと水が押しよせるように、静かな喜びで満ちる。シゲの心が見えた。いつも、ずっとずっと見たいと思っていたもの。シゲが見えた。胸がつまる。
「別に、毎日繋いでりゃいーじゃん」
何があっても。
そうすりゃ、自動的に来年までずっと一緒だ。
シゲを見ずに、前を向いて言った。けれども、またシゲの顔を、瞳を視界に入れる。
伝えられない。伝えたいと思うけれど。言葉にできないから、ただシゲを見る。切に、切に。
俺も、離れたくない。だから、ずっと一緒にいられるだろ。
熱い熱いアスファルト。湿っている空気。迫ってくる夜。
熱さと湿り気で、この視線までこの想いまでぼやけるなと思う。迫ってくる夜の闇に覆い隠されたりもしないで。
「せやな」
シゲがやわらかく笑った。ほっとしたように。彼の瞳から闇が散る。優しい夕焼けのオレンジが満ちた。その優しい優しい熟れた夕日の射光の視線で水野を刺す。水野も、肩の力を抜いてやんわりとした笑みを少しだけ返す。暑さが体中に戻ってきた。
「あちー」
シゲから視線を外し、前を向く。手は離さない。
「早よウチ帰ろうや」
そういいながらも、シゲは暑さに負けたのか、だらだらと歩く。けれども、水野は言葉通り早く帰りたくて、その手を引っ張った。
「早く帰るんだろ」
そんなんじゃ、日が暮れちまうとシゲを急かす。
空模様を見て、ほんまになとシゲは一人笑った。
その間も水野はぐいぐいとシゲの腕を引っ張る。
「わかったわかった」
苦笑しながらシゲは歩みを早めた。信号もない小さな十字路を二人は足早に渡っていく。そこは、寺へ行く道と水野の家へ行く道とに別れる十字路だった。二人は、お互い何も言わず、立ち止まることも戸惑うこともせずに極普通に水野の家の方へと向かう。手は離れない。ずっと、ずっと。

向かう先が、水野の家でなかったとしても。